4度目の流産
お久しぶりです。
2月に陽性がでて、すぐに不育症のクリニックに受診しました。胎嚢確認でき、バイアスピリン、葉酸内服に追加で漢方の柴苓湯が処方されました。さらにヘパリン1日3回注射が始まりました。6時14時22時の3回です。
そして、1週間ごとの受診、毎回祈るように受診しました。そして6週頃には心拍が確認できました。人生で初めてでした。うれしい涙を始めて流しました。
そしてその翌週、また祈るように検査台にのると、エコーの映像が流れた瞬間、心臓が動いてないことに自分でもわかりました。
そして、先生も一時無言に・・そしてそのまま旦那も呼ばれ、心臓止まってるね。と先生より。
なんで?本当にまたダメだったの?
呆然としました。
そのまま、近医の産婦人科紹介となり、翌日手術を勧められました。
産婦人科ではお腹の大きい妊婦さんばかり。
なんでだめだったの?何がだめだった?もう私、一生無理じゃない?
私の体がだめなんでしょ。私のからだの何が原因なの?どうしたらいいの?
どうしてももう無理なの?
もう私には子どもは無理ならいま教えてほしいよ。
翌日の前処置からの手術、もう3度目だったので、慣れたものでした。
旦那も付き添ってくれ、前処置からの待ち時間に漫画を持っていくほど。。
前回の流産時は前処置から手術までの腹痛が強く苦しかったのですが、今回は痛み止めを事前に使ってくれていたのは良かったです。
その週末には安静にと言われてましたが、旦那と傷心旅行に近場の温泉に行きました。もちろんお風呂は入らずですが・・。
そして、仕事で忘れる日々・・現在生理2回目を過ぎました。
コロナも少し、落ち着き、また、不妊治療のクリニックにも行こうかなと思っています。
いつかこの手に我が子を抱くことができる日がくるのでしょうか。
毎晩考えてしまいます。どう思っても時間は過ぎていくんですけどね。
今できることはやっぱり先生を信頼して、希望を持つことしかできないのかな。
初めての不育症治療クリニック受診
3度の流産直後、その産院に不育症だねと言われ、近くの病院はここかなと、とりあえずその病院へ紹介状を書いてもらいました。
不育症で有名病院と調べると、関東や都会ばかりでとにかくまずは紹介してもらった病院で頑張ろうと思いました。
そしてネット情報で不育症にも原因は様々にあり、また原因不明のことも多いと、でも不育症の85%は無事出産に至っていると情報もあり、私も大丈夫だとこの時は思っていました。
2019年5月頃、紹介状と病理標本を持って、受診しました。とりあえず標本で流産時の子宮の状況を調べてみようと、そして、採血、膣分泌物検査を受けました。
そして標本の検査結果が出る3週間後、受診。結果は子宮内の血液凝固が強いと。採血データでは凝固機能なども異常なし。甲状腺疾患もなし。原因は不明と。
しかし、血液凝固がこんなに強いと、もし妊娠したときにはヘパリン療法をしたほうがいいといわれました。
そして、妊娠に向け、腸内環境も血流に影響するといわれているためビオフェルミン、
葉酸、血液凝固を予防するバイアスピリンが2か月分処方されました。
とりあえず、それで排卵検査薬でタイミングを取って妊娠反応が出たらすぐ来てね。と言われました。
そこから、海外製の排卵検査薬を使い、基礎体温表記載、タイミングを計るも次は妊娠すらなかなかしなくなり、お薬がなくなる2か月に1度の受診が続き、このままでいいのかと思うのが前回流産から6か月後の9月頃、不育症の先生にもなかなかできないため、不妊治療も併用したほうが聞くも年明けでいいんじゃないかと・・・。しかし、何かできることと思うと、不妊治療にもいこう!!と夫と相談し、不育症の先生の勧めの病院を聞き、紹介状を書いてもらいました。
3度目の流産
2回目から約1年後、2019年1月頃のことでした。生理予定日数日後、1.2回目の流産時の病院では、また流産がよぎるため、別の病院に受診しました。地元の産婦人科で、沢山の妊婦さんがいました。2つ診察室が並んでいて、医師2人が診察している様子でした。16週以降とそれ以前と診察の部屋を分けてありました。まず、検査台で子宮内エコー後診察という流れ。しかも、まだ前の人が診察中に次の人が検査台に乗って準備という流れでした。そのため、前の人の診察がほぼ丸聞こえです。
1度目の診察前エコーの準備をしているときは隣から吐き気が強い患者さんの訴えに、「順調だよ~頑張れ。」と話しているのが聞こえてきました。私のときには、胎嚢確認でき、また2週間後来ようかと言われましたが、流産歴を伝え1週間後の受診に変わりました。
2度目の診察時、検査台準備したときにはまた前の人の診察の声が聞こえてきて、「心拍確認できているよ、母子手帳もらってきて~」という話が聞こえてきました。そして、いざ私のとき、検査台ので子宮内エコーしながら、先生が、「育ってないね。」と。流産です。翌日手術することとなりました。そして「3回目か、不育症だね。病院紹介するから行ってみて。」と。
次の日の子宮内掻爬術の流れは朝から子宮口を開く処置をして昼頃から手術という流れでした。その子宮口を開く処置後の2時間がお腹が痛くてたまらなかった。個室で過ごすのですが、痛くて悶えるほどでした。しかも夫の付き添い不可。1度、ナースコールを押しましたが、あと少しで手術呼ぶから頑張ってと、その後も4.5ー10分が長くつらかったのを覚えています。
手術後は痛み止めが効いていて痛みはあまりなかったですが、術前の時点で痛み止め使ってほしかったという思いでいっぱいでした。
そしてさらに翌日、再度子宮内確認、1.2度目の診察と違う院長先生でした。エコーで、「きれいになってるね。」と話し、ズボンを履いて隣で診察と思っているところで、再度、そこを院長先生がのぞいて来て、「もう診察いいわ、お風呂つかるのは今日は辞めてね、性生活は2週間後からいいよ。はーい。」という反応。
診察もしてくれないんだ。。
少しのねぎらいの言葉もなし。
周りは妊婦ばかり、私ばかりなぜ???
今回は流産よりも何よりもこの院長先生の対応が一番ショックで、怒りもあり、駐車場の車の中で泣きました。
私のこの時はおかしかったのかもしれませんが、旦那は常に私の気持ちに寄り添ってくれ、怒って産院に電話してくれました。旦那のその気持ちが嬉しかったです。
3度目の流産は産院への不満が多くなっていまいましたが、実際今思い出すのもこの、手術が痛かったこと、2度と行きたくないと思った病院だったことが大きいです。
そして、私はやっぱり胎児側の原因でなく、私になんらかの原因があると思い始めました。
初回流産のこと
少し昔になりますが、初回の流産について記録を残したいと思います。
2017年に結婚しました。
いつ子どもができてもいいという気持ちで過ごしており、2018年1月、念願の妊娠。
5週で産婦人科受診、胎嚢確認できました。
しかし、翌週受診した際には、全く成長しておらず、初めて稽留流産と診断されました。そして、次の日子宮内掻爬術を受けました。
稽留流産を言われたときは信じられなくて、なんで私が・・・の気持ちばかりが頭にずっとありました。
手術は前日の晩に子宮口を開く前処置をし、翌日朝から手術でした。
9時から静脈麻酔で10分程度の手術、その後2時間で家に帰りました。
2回生理を見送ってから妊活を始めるようにと言われ、ちょうど一か月後くらいに1度目の生理がきました。
私は結婚する前から、同じく結婚を控えた大学時代の友人2人と、結婚したら子供ができるかなという話をよくしており、友人たちはそろって、自分はできにくい体だから早くはないと思う。と話していました。私は、そっかと話を聞いていました。
私が流産したときにはすでに2人とも同時期予定日で妊娠中でした。
この時には2人がうらやましくて仕方なかったです。
2人と比べて、自分だけが不幸だと思い込んでいました。
現在友人は2人目を出産しています。うらやましい気持ちは今もあります。
今は会う機会は減っていますが、ラインのやりとりはよくします。
いつか妊娠できたら、沢山一緒に過ごしたいです。
本当は人と比べる自分が嫌です。
人は人、自分は自分、自分の今とこれからを大事に。
まだまだ大丈夫、今を楽しめ、自分。
初めまして
はじめまして、ブログは初めてなので、不適切な部分が多々あると思いますが、よろしくお願い致します。
先日も7週で4度目の流産をし、もう子どもは難しいのではないか、周りに取り残されている気持ちより、記録に残していくことで、何か少しでも今できることをしたいと思いました。
また、私と同じように不育症で悩んでいる方にとって、似たような境遇の人がいることで少しでも安心感や、頑張る思いに繋がると嬉しく思います。
私自身もほかの方のブログで今も救われています。
自分の今までの経緯や、他にも日常についても記載していきたいと思います。
では、こんな気持ちで始めてしまいましたが、
どうぞよろしくお願い致します!!
子供がほしいよ~
父母に初孫見せたいよ~